今思えば楽しい丁稚時代 [丁稚居候時代]
いや~今日は沢山見てくれている人がいるみたいで・・・
ありがとうございます!
毎日書いてきて気がついたのは・・・
なぜか一番いろいろいろいろ・・・あった
デラワンの話が出てこないです。
まだ記憶が新しすぎて思い出にならんのかな?
つらい思い出ほど後で懐かしく思い出すって言うけど
まだ懐かしく感じないもんなあ・・・
今日はつらかった(今思えば楽しかった?)
丁稚時代の話をしたいと思います。
私が丁稚に出たのは・・・27歳の頃でした。
この業界にしては、寄り道が多かったので遅い方で
雇ってもらえるところを見つけるのは大変でした。
しかも、最初は日本が良かったので
石垣周辺を探したのですが、
沖縄と言うのは学生がいっぱいで
タダ働きが普通みたいなところがあったので
27歳でイントラを持っている女の私なんか
使いにくいし、相手にされないわけです。
その中でたった1軒だけ
MAX石垣と言うところが雇ってくれました。
でも、背景がそう言うことですから・・・・
給料:8万5千円
家賃:4万5千円
飛行機代:1万5千円
と言うことで残りの
2万5千円で生活しなくちゃいけないわけですよ~(泣)
寮じゃなかったんでマジつらかったです。
そこで・・・
オーナーから小型炊飯器をしていただき・・・
その他のものは
ありったけの10円玉を公衆電話の上に置いて
「お母さん? 私 お米送ってお米!あと、味噌汁の素と梅干、卵スープとかスープの何でもいいから素素!あと、ふりかけと、梨も食べたいなあ、それと・・・・ガチャ」
と電話が切れるまで喋り捲り
どこまで通じたかなあ・・とドキドキしつつ
食べ物が送られてくるのを待つのでした。
ありがたや・・・ありがたや・・・
ご飯さえどうにかなれば
おかずはスーパー閉店前に安くなったおかずを買ったり
堤防で釣りしてるおじさんに笑顔を振りまき魚をゲットしたり
野菜はほか弁のサービスのサラダ100円詰め放題で漬物になるんじゃないか?っていうくらい詰め込んだり・・・
どうにかなっちゃうわけです。
あとうれしかったのは・・・
うちのショップはラッキーなことに
体験ダイビングもクルーザーでやるんですよ。
初心者とかノンダイバーって
結構船に弱い人多いじゃないですか~
そのうち
気分悪いんです・・・
と言われるんです。
そうするとラッキー!と思うわけです。
(今だから言える)
だってその人はランチ食べられなくなるじゃないですか!
一応、「持って帰りますか?」
とやさしく聞きます。
でも、石垣まで来て夕飯にお弁当食べる人なんか
いるわけ無いですから
「いいえ」って99%の人が言うわけです。
そしたら・・・
私の夕飯が浮くわけですよ!
内容によっては朝ごはんも浮くわけです。
いえい!
そうやって激貧を乗り越えていました。
あと・・・卵の話しとかいろいろあるんですけど
長くなっちゃったので明日にしたいと思います。
激貧も悪くないかも知れない・・
いつも、食べること、生きることを考えていました。
でも、少なくとも毎日退屈な日は無かった気がします。
今はだらしない生活してるなあ・・・・